大滝沢遡行
2014/09/17 Wed 15:30:00 [edit]
9月の平日山行であこがれの大前大滝沢に行ってきました。
【日程】2014年9月18日(前夜発)
【山域】南アルプス 甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳
【メンバー】CL辻本、SL内堀、今泉、藤、松原、萱野(香)、前田、古関(報告)
【行程】
9/16 千葉21:30出発 25:30峠駅(仮眠)
9/17 滑川温泉下7:40~滑川大滝10:00~終了点1300m付近枝沢14:30、登山道~滑川温泉15:30
【内容】
福島市出身の古関にとっては、大滝沢は故郷の近くにある名所。昨年から何度かお誘いがあり行ってみようと思っていましたが予定が合わず、今回初めて行くことになりました。
21時に千葉駅北口に集合し、米沢に向けて出発。大型のバンに全員乗車して、渋滞も無い快適なドライブで峠駅に到着。昔の在来線駅のスノーシェードにテントを張って仮眠する。当夜は保線工事を行っており、多くの作業員が峠駅で線路の取り替えを行っており、少しうるさい状態。平日なので他のパーティは居ませんでした。朝起きてみると峠駅の全貌が把握できた。この様な山岳の駅を新幹線が通過するのはすごいものだ。小さい頃来た時は、スイッチバックしながら電車で上がって来たのに。。
滑川温泉から数分の入渓地点に移動。入渓地点の橋からの展望から、快適な沢歩きが期待できた。
天候は曇り、昨夜から寒気が入って気温は低め。なるべく濡れないで遡行したい。そう考えていたのもつかの間、1つ目の滝でU堀氏が足を滑らせドボン。沢の水は鉄分が高いのか、岩肌は褐色の鉄色になっている。鬱蒼とした木々もなく、明るい沢。遡行して楽しい。沢登りの時にいつも感じるのだか、水に削られた岩を歩くと、地球の地殻を直に歩いているようで、感無量です。暫く行くとウオータースラーダーに最適なU字の流れがあった。辻本さんにそそのかされて前田さんが一つ返事でトライ。
さすがです。歓喜の様子は写真を見てください。(ずぶぬれの彼女はその後寒かった様です。)
入渓地点から2時間半程度で滑川大滝が見えてきた。落差110m、日本100名滝に名を連ねる滝です。
こんな落差の滝をまじかで見たのは久しぶりです。上のほうは垂直に近く、下方につれて傾斜が寝て白糸状に広がり水が落ちています。帰宅後にインターネットで調べてみると、夏・冬とも滝を直登されているようで、記録が結構ありました。大滝を見て休憩。煩悩に満ちたT本氏,M原氏は大滝直下で滝行、欲を落としています。見ている人はそれだけでお腹いっぱい。
滑川大滝は左側の斜面を巻いて上部に抜ける。その後はナメと滝が続き、2-3回ほどロープを出してもらった。スタンス・ホールドもたくさんあり、直登できる。昨年よりも水が少なくとのことで、問題はなし。辻本さんの履いていた沢靴のアクアステルスのソールは、この沢では抜群のグリップ力だそうで、大滝沢専用にしているとの事。温泉成分が流れている魚がいない川なので、苔や藻が無いからだと思う。辻本さんは急なナメ滝を二足歩行で登っていくが、フェルト靴の後続者は怖かった。釜と滝の連続で、高度を徐々に上げていく。平日なので沢を独り占めです。暫らくすると巨石のゴーロとなり、1300m付近の枝沢から登山道に抜け、遡行終了となりました。
登山道は廃鉱山のトロッコ道です。軌道やトロッコの台車が残されていました。2時間半程度で滑川温泉に下山。福島屋で入湯。匂いはあまりきつくない硫黄泉で汗を流し、疲れを癒しました。
気になったので大滝上流の鉱山について調べました。私の生まれたころにはまだ操業していたようです。
知らなかった。。。。
「滑川鉱山」
1941 年の本格採掘以降,70 年の閉山までの30 年間,褐鉄鉱が採掘されていた鉄鉱山。滑川鉱山は,そのわずかな歳月に「東アジア・太平洋戦争」の遂行,「戦後復興」と「高度成長」を支える役割を担わされ,やがてあわただしく歴史の舞台から去っていった。
採掘された鉄鉱石は,トロッコや架空索道などによって奥羽本線の峠駅まで運ばれたあと、貨物列車に積まれ, 米沢や坂町を経由して東新潟港まで行き,そののち船で八幡製鉄所まで運ばれていった。鉱山は1970年(昭和45年)に閉山となった。

【日程】2014年9月18日(前夜発)
【山域】南アルプス 甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳
【メンバー】CL辻本、SL内堀、今泉、藤、松原、萱野(香)、前田、古関(報告)
【行程】
9/16 千葉21:30出発 25:30峠駅(仮眠)
9/17 滑川温泉下7:40~滑川大滝10:00~終了点1300m付近枝沢14:30、登山道~滑川温泉15:30
【内容】
福島市出身の古関にとっては、大滝沢は故郷の近くにある名所。昨年から何度かお誘いがあり行ってみようと思っていましたが予定が合わず、今回初めて行くことになりました。
21時に千葉駅北口に集合し、米沢に向けて出発。大型のバンに全員乗車して、渋滞も無い快適なドライブで峠駅に到着。昔の在来線駅のスノーシェードにテントを張って仮眠する。当夜は保線工事を行っており、多くの作業員が峠駅で線路の取り替えを行っており、少しうるさい状態。平日なので他のパーティは居ませんでした。朝起きてみると峠駅の全貌が把握できた。この様な山岳の駅を新幹線が通過するのはすごいものだ。小さい頃来た時は、スイッチバックしながら電車で上がって来たのに。。
滑川温泉から数分の入渓地点に移動。入渓地点の橋からの展望から、快適な沢歩きが期待できた。
天候は曇り、昨夜から寒気が入って気温は低め。なるべく濡れないで遡行したい。そう考えていたのもつかの間、1つ目の滝でU堀氏が足を滑らせドボン。沢の水は鉄分が高いのか、岩肌は褐色の鉄色になっている。鬱蒼とした木々もなく、明るい沢。遡行して楽しい。沢登りの時にいつも感じるのだか、水に削られた岩を歩くと、地球の地殻を直に歩いているようで、感無量です。暫く行くとウオータースラーダーに最適なU字の流れがあった。辻本さんにそそのかされて前田さんが一つ返事でトライ。
さすがです。歓喜の様子は写真を見てください。(ずぶぬれの彼女はその後寒かった様です。)
入渓地点から2時間半程度で滑川大滝が見えてきた。落差110m、日本100名滝に名を連ねる滝です。
こんな落差の滝をまじかで見たのは久しぶりです。上のほうは垂直に近く、下方につれて傾斜が寝て白糸状に広がり水が落ちています。帰宅後にインターネットで調べてみると、夏・冬とも滝を直登されているようで、記録が結構ありました。大滝を見て休憩。煩悩に満ちたT本氏,M原氏は大滝直下で滝行、欲を落としています。見ている人はそれだけでお腹いっぱい。
滑川大滝は左側の斜面を巻いて上部に抜ける。その後はナメと滝が続き、2-3回ほどロープを出してもらった。スタンス・ホールドもたくさんあり、直登できる。昨年よりも水が少なくとのことで、問題はなし。辻本さんの履いていた沢靴のアクアステルスのソールは、この沢では抜群のグリップ力だそうで、大滝沢専用にしているとの事。温泉成分が流れている魚がいない川なので、苔や藻が無いからだと思う。辻本さんは急なナメ滝を二足歩行で登っていくが、フェルト靴の後続者は怖かった。釜と滝の連続で、高度を徐々に上げていく。平日なので沢を独り占めです。暫らくすると巨石のゴーロとなり、1300m付近の枝沢から登山道に抜け、遡行終了となりました。
登山道は廃鉱山のトロッコ道です。軌道やトロッコの台車が残されていました。2時間半程度で滑川温泉に下山。福島屋で入湯。匂いはあまりきつくない硫黄泉で汗を流し、疲れを癒しました。
気になったので大滝上流の鉱山について調べました。私の生まれたころにはまだ操業していたようです。
知らなかった。。。。
「滑川鉱山」
1941 年の本格採掘以降,70 年の閉山までの30 年間,褐鉄鉱が採掘されていた鉄鉱山。滑川鉱山は,そのわずかな歳月に「東アジア・太平洋戦争」の遂行,「戦後復興」と「高度成長」を支える役割を担わされ,やがてあわただしく歴史の舞台から去っていった。
採掘された鉄鉱石は,トロッコや架空索道などによって奥羽本線の峠駅まで運ばれたあと、貨物列車に積まれ, 米沢や坂町を経由して東新潟港まで行き,そののち船で八幡製鉄所まで運ばれていった。鉱山は1970年(昭和45年)に閉山となった。
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